5月2日 横浜〜松本 晴 (0Km) | |
12:15 | 自宅の最寄駅から出発。駅のスペースを見つけて無理やり輪行して電車に乗り込んだ。 |
16:26 | 八王子14:29発「スーパーあずさ」に乗って松本着。 松本駅で降りたのは学生時代以来だろうか?相当昔の話なので詳しくは覚えていないのだが、駅周辺も随分変わっているような気がした。 本日の宿泊場所「エースイン松本」は駅に近く、非常に便利。設備もきれいで、朝食用の軽食をもらえるのがうれしい。シングル1泊6200円。 その後、例の騒動でホテルが休業に追い込まれたのはご愁傷様としか言いようがない。 |
18:00 | 競の実家に電話。今回のツーリングの途中で墓参りをさせてもらうことを連絡する。 |
19:00 | 本日の合流予定は鳩野だけだが、到着が遅いと言うことなので、夕食を一人で取る事になった。 ホテルの人に、郷土料理でもある馬肉料理の店として「新三よし」を教えてもらっていたが、ゲロ混み。仕方がないので、付近をウロウロする。「新三よし」を女鳥羽川沿いに進んで行ったところに、「うら島」と言う店があった。商売気がない感じが良さそうなので店に入った。中は昔ながらの食堂の雰囲気と言う感じが良かった。一人なので、居酒屋と言う感じの店よりも良かったかも。 |
21:00 | 店を出る。4800円とは、一人ではちょっと飲みすぎ・食べすぎだった。ほろ酔い気分でホテルへ戻る。 |
24:40 | ようやく鳩野到着。もう少しで先に寝るところだった。少し明日の話しをしてすぐに就寝する。 |
5/3 松本−塩尻(藤井・大西合流)−(19号線)−木曽福島−寝覚の床 晴 (67Km) | |
7:00 | 起床。のんびり朝食を取って準備。 |
9:00 | 出発予定だったが鳩野の自転車のディレイラーが故障。松本城近くの大名町通りから少し離れた所にある自転車店に持ちこんで修理。 |
10:20 | 出発。 途中、塩尻で合流。ちょっと行き過ぎてしまったが、無事大西・藤井と合流。 |
12:00前 | 「弥次喜多」で昼食。ボリューム大。沼津直送の魚介類を使っているとのこと。 |
14:00 | 奈良井宿道の駅着。散策。宿場町は今回のツーリングで色々巡る事になるが、個人的には、奈良井宿が街並みの規模とほどほどの観光客のバランスから、一番良かったように思う。 |
15:00 | 奈良井宿出発。 |
16:30 | 木曽福島着。 木曽福島サティ店で夕食を買い出し。キムチ鍋。きしめんも購入。買い物を終えたら17時。 |
18:15 | 寝覚ノ床着。もう暗くなっているので本日はここまで。 野営地を探し出す前に、先に目の前の国民宿舎で温泉に入ることにする。 |
20:00 | 暗くなってから野営地を探す。なんか、暗くなってから場所を探すのが恒例になってしまったなぁー。 |
21:30 | すっかり遅い夕食。本日はキムチ鍋である。 途中で鳩野が鍋をこぼしてしまい、最後のうどんのダシがなくなってしまった。 それよりも、大西の足にこぼしてしまったのでびっくり!でも火を止めていたので大事に至らず良かった。 |
23:15 | 就寝。思ったより寒くなかったので良かったが、貨物列車に夜何度か起こされた。 |
5/4 寝覚の床−南木曽−妻籠(西井合流)−旧中山道−馬籠−恵那峡 晴 (62km) | |
6:00 | 起床。朝食を簡単に済ませる。野営地は寝覚ノ床を見学する上で格好の散策路らしく、多数の人の好奇にさらされることになる。 |
8:00 | 出発。 |
8:40 | 道の駅大桑着。ここまで下りで快調なペース。 本日合流予定の西井にTEL。南木曽で準備OKとのこと。 妻籠で合流と言う事にする。 |
9:35 | 妻籠着。先に来ているはずの西井はなぜか後ろから登場。 妻籠宿では本陣を見学。この本陣の最後の当主が島崎藤村の実兄である。 |
11:00 | 妻籠を出発。ここから峠までは上り。 |
11:35 | 男滝女滝着。11:55出発。 |
12:25 | 馬籠峠着。あとは下って馬籠へ向かう。 馬籠では島崎藤村記念館を見学。 色々な展示物があったが、疲れていたこともあり、ほとんど内容が頭に入っていない。 |
15:00 | 馬籠出発。 |
15:45 | 中津川駅着。ここで午前中の頑張りがたたったのか?長時間の休憩とAPITA中津川店で夕食を買い出しに時間使い過ぎる。 |
17:30 | 色々検討の末、今日は恵那峡で泊まる事にする。 途中、藤井が今回のツーリング2回目のパンク。 |
19時前 | 恵那峡着。かんぽの宿で風呂に入る。なかなか豪華な設備だ。 |
20:30 | どこに野営すべきか悩んだあげく。川沿いのさざ波公園着。敷地はキレイで、選択としては良かったかな。 |
22:00 | 夕食は、豚肉ベースの鰹味ベースの鳥鍋(?)。よく考えたら今日も豚肉入ってるなぁ。味は薄口でちょっと評判は良くなかった。 昨日と違いビール付。 |
0:00 | 就寝。 |
5月5日 恵那峡−多治見−名古屋市守山−八事−テレビ塔 晴 (85Km) | |
6:00 | 起床。野営地のロケーションはなかなかのものであった。 |
8:00過ぎ | 出発 |
10:15 | 瑞浪着。10:45出発。 |
11:45 | 多治見着。 昼食は、「魚関」という店で「ひつまぶし」を食う。 ツーリングしている途中で、道端にあった店だったが、なかなかいいにおいがして良さそうなので、そのまま飛び込みで入ったが、うまかった。創業1887年(明治30)の老舗だとか。 |
14:30 | なぜか名古屋ドーム前へ寄り道。今日は試合があるようだが、我々が入るわけには行かず、目の前に行くだけで出発。 |
15:15 | 八事霊園着。事前に連絡を取っていた竸の御両親は、既に到着していた。 阪神大震災で彼が亡くなってから10年になる。御両親含めてみんなで墓参りをする。私も数年振りに墓参りだ。 八事霊園は高台にあって、墓のある所から彼の実家が見えるらしい。(御両親は家の方向を指差してくれたが、さすがにわからず) みんなで墓参りをしている所をビデオで取り続ける鳩野(!)。背後がなんとなく気になりつつも、墓を囲んでみんなで記念撮影。 |
16:00 | 竸の御両親の車に先導され、市街を爆走してコメダ珈琲店へ。 パフェ・サンドイッチ、どれもボリューム大である。この珈琲店の存在をメンバーは誰も知らなかったが、名古屋では非常に有名な人気店らしい。名古屋の食文化はまだまだ未知の領域が多い。 しばらくして前田登場。最終日のためだけにわざわざ来てくれてありがとう。 ここで、竸の学生時代の教官である松野先生も携わっている国際レスキューシステム研究機構で「竸基弘賞」が設立されたとの話を聞く。 (彼は、学生時代、ロボットの研究をしていた) 震災等の災害時に活躍するロボット技術の発展に、彼の名前が冠たる賞が貢献することを願う。 |
17:30 | 名残り惜しいながらもここでご両親共お別れである。 |
18:30 | 栄着。テレビ塔へ向かってゴールへ進む我々は、ツール・ド・フランスを思い起こさせる? 今晩は、ホテルトラスティ名古屋栄に宿泊。テレビ塔に近く、こちらも交通に便利。受付の方の容姿・接客レベルも非常に高く、我々のメンバーからも大好評であった。 |
20:30 | 前田の会社の先輩お勧めの居酒屋で遅い夕食。横のテーブルでは合コンが盛り上がっているようで、えらくうるさい。こっちの会話が聞こえなくなるくらいの盛り上がりだった。その一方で、我々のテーブルは眠りについたのが数名。 |
25:30迄 | BIG ECHOでカラオケ。その後、テレビ塔の近くで円陣を組んで、恒例のエール掛けを大声でやってお開き。 |
26:30 | たぶん、このくらいに就寝。 |
5/6 名古屋〜横浜 雨 (0Km) | |
9:00 | 起床。 しばらくして鳩野が来る。鳩野は本日夕方から出勤と言う事でご苦労様。 ホテルの人に輪行の手続きも色々やってくれたみたいで、ありがとう。 |
10:10 | 輪行の手続きを終える。ホテルの人にはお世話になりました。 この時点で前田に電話したがまだ寝ていた。。。 |
11:30 | 西井が調べていたヨコイのスパゲティでブランチ。太麺でボリューム大。ある意味名古屋らしいのかな? |
12:30 | 名古屋城へ。丁度、名古屋城博をやっていて、天守閣に登るのにも名古屋城博入館料1000円いるらしい。天守閣の上にある金の鯱を地上に下ろしていて、これを触ることができる。鯱って、オスとメスがいるのって知らなかった(よく考えれば当たり前か・・・)。オスの方が少し大きいらしい。 |
14:30 | JRセントラルタワーズ内の山本屋総本家で味噌煮込みうどんを食す。 偶然にも家族連れの会社の先輩に遭遇。前日は愛地球博を少しだけ見学したらしい。 |
16:30 | 最後の最後も時間をたっぷり使って解散となる。 鳩野が先に帰ったので、東京方面は私だけ。 また来年の再会を誓っての?解散となる。 |